48 - 「三十路たくやプレ版第3回「ゲーム本編で水泳部として活躍した描写はありません」前編


「はーい、それじゃ今日の練習はここまで。お疲れ様〜♪」
『お疲れ様でした〜』
 部活の練習時間が終わると、水泳部のみんなは談笑をしながら後片付けに入る。
 宮野森学園の水泳部は男子六人、女子十七人と、女子の割合の大きい部活だ。学園指定の紺色の競泳水着に身を包んだうら若き乙女たちが恥じらいもなく瑞々しい肢体を晒し、適度な運動で引き締められた健康的な肉体を伝い落ちる水滴に自然と視線が瑞々しいボディーラインに誘導されてしまい……って、だめだめだめ。この一週間で若い娘にあてられたのかな。思考がスケベ中年っぽくなってしまっている。
 さてさて、運動にははっきり言って自信がないあたし、相原たくやがどうして水泳部にいるのか……しかも顧問になっているのかと言うと、そこには深い理由がある。
 なんと顧問だった男性顧問にホモ疑惑が浮上して休職されたのだ!……いや、力説するほどのことでもないんだけど。
 そんなわけで、新任で何の部活も受け持っていないあたしが、急遽水泳部の臨時顧問を務めることになったのだ。
 宮野森学園の大会での成績は決して悪くはない。でも部員の多くは適度な運動による勉強の息抜きやダイエット、内申点などが主な目的のため、スポーツ進学校にような「熱血・努力・勝利!」というスポ魂的なノリの部活ではない。それに前任の先生の考えたトレーニングメニューもあるため、ぶっちゃけ、顧問は生徒が怪我しないように見ているだけの存在でしかない。
 とはいえ、宮野森学園のプールは松永先生の代になってから、屋内プールになり、一年を通して快適な環境で泳ぐことが出来るようになっている。
 さすがに三十路も過ぎた自覚があるので、ビキニなんてとても着る勇気はない。それでも、泳ぐことは嫌いじゃないあたしは生徒たちと同じ――ただし胸などのサイズは違う――色気の少ない水着を身につけ、楽しい顧問ライフを満喫させてもらっていた。
 ―――それに、あたしのいた頃の水泳部と違って、いたって平和だからいいよね。あのころは毎日のように練習後に乱交してたから……
 水着の上からパーカーを羽織り、年下の生徒たちに交じって用具の片づけをしていると、屋内プールが建設されたこの場所で夜ごと繰り返されていた淫らな行為が頭をよぎる。
 でもそれも過去の話。いまではそんなことは―――
「そうそう、先生の言うとおりにしてたら、体重2キロも落ちたんですよ。ありがとうございま〜す♪」
「え〜、なにそれ、いいな〜! 先生、どうすればいいんですか? 私も聞きたい!」
「それよりも、相原先生のそのスタイル、その秘訣を聞くのが先決よ!」
「ふっふ〜ん、私、先日Cカップになりました。これも全部相原先生のご指導のおかげですよ〜♪」
「あー! こいつ、抜け駆けだー! 罰として、帰りにヤクドナルド奢りだからね!」
「アドバイスどおりに洗濯前の水着で迫ったら、彼、塩素の臭いで止まんなくなって……ケダモノステキ♪」
「夏休みになったらみんなでロストバージンしに海へ行くんですけど、先生も一緒に行こ〜♪」
 ―――え〜と、あたしはいったい、この子達に何を教えたんだろう……
 この脈絡のない会話がきちんとつながっているのが驚きだ。若い子に囲まれて自分もちょっと若くなった気でいたけれど、これにはどうやっても付いていけない。聖徳太子にでもならなければ絶対に無理だ。
 でも、一週間でこの手の話が出来るほどに打ち解けられたのはいいことと思う。
 なにしろあたしは元・男。性転換薬で女にされた被害者第一号であることは、学園中の生徒の知るところである。国から薬の認可が下りたりして、受け入れられる風潮が出来上がりつつあるからこその性転換クラスであり、あたしが教師として招かれたわけなのだけれど、それでも快く思っていない生徒も少なからずいる。
 例えば―――
「相原先生」
「へ? な、なに?」
 道具類を片付け、女子部員たちがにぎやかにシャワー室へと向かうのを見送っていると、背後から一人の男子部員から声をかけられた。
 少し鋭さを帯びた声にちょっとびっくりしつつ背後を振り返ると、背はあたしより頭半分低い男子が、苛立ちを含んだ眼差しであたしのことを見上げていた。
「あっ………」
 距離が近い。
 肌に張り付くようにぴったりフィットした競泳水着は驚くほどに生地が薄い。濡れた水着姿がどのように見えるのかは、この一週間でずっと目にしてきたこともあって十二分に理解しており、まだ幼さの残る男の子に間近に迫られると、まるで裸で立っているのにも似た恥ずかしさが込みあがってきてしまう。
 ―――こういうのって自意識過剰だって解ってはいるんだけど……
 特にこの子だったら、なおさらそうだ。なにせ、水泳部の中であたしのことを一番嫌っているのは彼なのだから。
「もう少し練習したいんだけど、プール使ってもいいか? オレ、練習あれだけじゃ足りないんで」
 そう言う彼の視線はあたしに向かず、明後日のほうを見ている。口調もどこかぶっきらぼうで、あたしと口をきくのがイヤだけど仕方なくという雰囲気がありありと見て取れる。
「居残り練習? もう、それは初日にダメって言ったでしょ。あたしが代理で顧問してる間は、いつものメニューだけだって」
「いいじゃんか。こっちは真面目に練習したいってだけなんだし、へんな事するわけじゃないんだし。先生に付き合えって言ってるわけでもないし」
「一人で練習してて、それで怪我でもしたらどうすんの? 足が攣って溺れたら? 責任者がいらないって言うんなら、なおさら居残りを認めるわけにはいきません。でもま、もう少ししたら顧問の先生も戻ってくるから、それまで待っててね」
「―――ちッ、わーったよ。なんでぇ、わかりましたよ、帰ればいいんだろ、帰れば。ほんと役に立たねえな」
「むっ。先生にその態度は―――」
「ハイハイ、シツレイシマシタ、モウシワケアリマセンデシタ、サヨウナラ、オカマセンセ!」
 ―――頭にくるぅ! な、なんなのよ、あの態度は。あたしのことをどれだけ舐めてるの!?
 嫌味ったらしく言葉を吐き捨てると、男子はさっさと背を向けて立ち去っていく。
 こういう態度をとられるのも今に始まったことではない。性転換者……自分と異なる存在を受け入れられないのは、どこにでもある話であり、女の身体になってから何度も体験してきてはいる。美人教師だから慕ってくれる子も多いけど、元・男だし。バツイチだし。……影で生徒たちに言われていることぐらい、いちいち聞かなくても想像できてしまう。
―――しくしくしく……そりゃあたしだって男に戻りたかったけど、戻れなかったんだしさ……むしろ被害者なのに……
 女になって、いいことばかりがあったわけじゃない。むしろ、今ほど性転換薬の存在が認知されていなかったから、世間の風当たりはキツかったともいえる。
 そういう相手とは距離をとって不用意に接さなければいいのだけれど、教師と言う職業に付いた以上、生徒と接さないわけにはいかない。
 ―――はぁ……教師って大変だなぁ……
 ため息をついたからといって、生徒から好かれるわけじゃない。仕事が終わるわけでもない。
「………よしっ」
 気合を挿れなおして、背筋を伸ばす。
 それからあたしは、まだ片付けの最中だったほかの子達のほうへ足を向けた―――


 −*−


「誰もいませんか〜? 鍵、閉めちゃいますよ〜?」
 非常灯だけが付いた薄暗い廊下を歩きながら、あたしはまだ残っているかもしれない生徒をいないか探して歩く。
 ―――う〜……ずいぶん遅くまで付き合わされちゃった……
 そもそも、料理部の先生があんなに美味しいお菓子を教員室へ持ち込んでくるのがいけない。おかげで日が暮れる時間まで楽しいおしゃべりに興じてしまったのだ。
 プールの施設の鍵を管理しているのはあたしだ。帰る前には施設内の電気のつけっぱなしとか、誰も残っていないこととかを確認して、きっちり施錠して、警備員さんのところに返さなくてはならない。
 だというのに、着替えるのも忘れて楽しく猥談……いや、雑談していたなんて。
 ―――ああァ……夫婦生活のとんでもないところまで聞き出されちゃった。明日からどうしよう……
 秘密にしてくれるとは言ってくれたけれど……後悔しても遅いとはいえ、あ〜んなことや、こ〜んなことまでしていたと喋らされるなんて。
 ―――あたしが痴女って呼ばれだしたら、きっとあの人のせいだ。絶対そうだ、そうに違いない……!
 それでも今は見回りを終わらせるほうが先だ。男子更衣室からその奥のシャワー室、そして女子高異質と順番に確認していく……と、
「あらら、誰か忘れ物してる」
 更衣室の真ん中には、水着やタオルの入ったバッグが置かれていた。変態が忍び込んで物色されたら、女子校生の水着なんてスケベなことに使われるかもしれないのに無用心なことだ。
「ん? 携帯が鳴ってる。だったらすぐに取りにくるかな?」
 かばんの再度ポケットから着信音が聞こえてくるということは、忘れ物をした誰かに連絡を取ろうとしている子がいるということだ。親ならまだしも、昼間の様子からしたら、女の子同士という線が強い。携帯電話は彼女たちのネットワークの必須アイテムなのだし、いずれ忘れ物に気が付くことだろう。
「とりあえずこれは預かっておいたほうがいいかな。それから―――」
 電話の着信を見ちゃってもいいものかどうか……さすがにそれはマズいかなと逡巡していると、
 ………パシャ
 遠くのほうから、水を叩く音がした。
「プールに誰か残ってるの?」
 最後までプールにいたのはあたしで、誰もプールの中にいないことを確かめたから離れたのだ。それなのに、こんな夜遅くに誰がプールにいるのだろうか。
 幽霊……なんてのは新築の屋内プールに出るわけない。とすると―――
 忘れ物は後回しにして、あたしはプールへと急ぐ。物音は立てず、声も出さず、静かに屋内プールへと辿り着けば、やはり空耳などではなく、パシャパシャと誰かが水を掻いて泳いでいる音をはっきり聞き取れた。
「こらあっ! 居残り禁止って言ったでしょ!!!」
 扉を開け放ちながら一喝。―――ちょっと頭にきたのが先に立った。驚かせるつもりはなかった……のだけれど、
『フガボガモガァァァ!!!』
 と驚いて溺れるとは。―――って、溺れるのはマズいでしょ!?
 パーカーを脱ぎ捨てたあたしはスタート台に駆け寄ると、そのまま水面に飛び込んだ。
 ―――溺れた位置も確認した。まったく世話の焼ける! お願いだから、もうちょっとの間だけがんばって!
 とりあえず、あたしが驚かせたのは棚に上げると、水中を一気に進んで顔を上げる。
「な、なんでもない、なんでもないからこっちくんなァ!!!」
 こんなときにまで何言ってんのよ!―――クロールで泳ぎだして三回も水を掻かないうちに飛んできた声に、従って泳ぐ手足を止めるつもりもない。
「ンがッ! ゲボッ! くるな! くるなぁ!!!」
 そう叫ぶ声を耳にしつつも、あたしは背中を向けている男子の元まで一気に泳ぎきると、そのまま背後から抱きかかえる。
「あっ………!」
「もう大丈夫よ。だから言ったでしょ、あたしのいないところで練習するとダメだって」
「さ、さわるな……近寄るな……押し付けるなよぉ……」
 口から水を吐きながら、弱々しくもあたしを拒絶する言葉を吐き続ける。まあ、救助のときに下手に暴れられたりすると、あたしまで溺れかねないからジッとしてくれてるのは助かるけれど、肩を縮こまらせて身体を強張らせているのが、なにか気になる。
 ともあれ、男子生徒を右脇に抱きかかえてプールの隅に設置されている手すりの元まで移動する。
「ほら、早くプールから上がって。―――あ、下から押し上げるより引っ張りあげたほうがいい?」
「いや……お、俺、もう少しプールの中にいるから……」
「はあ? 溺れた人間がなに言ってるのよ。居残り練習がそんなにしたいなら考えてあげるけど、今日はもうダメ。さっさと上がって今日はゆっくり休むの。わかった?」
「わかったよ……だ、だから先生だけ、先に行って―――」
「ぜんぜん判ってないじゃない。溺れて水も飲んだんだし、残ってる先生にお願いして病院に行かなきゃいけないかも……」
「いいから、後で上がるから! 俺のことは放っておいてくれよ!」
「あーもー! あたしのことが嫌いなのはわかるけど、いい加減にしないとあたしだって―――あれ? キミ、水着は?」
「――――――!?」
 あたしの腕は手すりを掴んでいるので、過度に押し込められた男の子に逃げ場はない。それでも腕の下をくぐってまで逃げようとする彼をなんとかしてプールサイドへ押し上げようとして揉み合っているうちに、あたしの手や脚が下半身のほうにも触れたんだけど……そこにあるべき布地の感触がない。
 と言うことは、


「な……なんでふりチンで泳いでのよ、あんたは!?」


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