第一話
「みどりせんせぇー!つぎ私歌うー!」
「なぁんで志保ばっか歌ってんだよ!」
「だぁって、正樹は下手だからみんな迷惑でしょ?あははははは!」
天井のスピーカーから笑い声がバス中に響いて、他の子供たちが大げさに耳を押さえた。
「ちょっと志保ちゃん、マイク持って大声出さないで!」
「ごめんなさ〜い」
後ろを振り向いて注意すると、志保ちゃんは舌をペロリと出してマイクを正樹くんに手渡した。
今までのおてんばぶりも、そんな仕草を見ていると許せてしまう。ほんとに子供って素直でかわいい。
「おいおい、なんだよ今の怪獣みたいな声は?」
「あったしでーす!曽根先生もごめんなさ〜い!あはははは」
私と反対側の席で寝ていた曽根先生が、また志保ちゃんかとあきれながら、そろそろマイクを返すように指示した。
「・・・高木先生、大変でしょ、身体ばかり大きくなった連中相手だと?」
「あはは・・・」
曽根先生が子供たちに聞こえないように小声で言ってくるので、私も仕方なく笑ってみせた。
私は高木みどり、大学院に通いながら小学校で働いている。といってもいわゆる「先生」ではなくて、そのお手伝い。主に低学年のまだ手がかかる子供たちのクラスで一緒に授業をしたり、給食を食べたり、遊んだりするのが仕事。
だから本当は「先生」って呼ばれるのも変なんだけど、子供たちには学校にいる大人は誰でも「先生」みたいで、みんな「みどり先生」って呼んでくれる。
「みどり先生、はい、マイク返します」
「あ、ありがとう」
最初はくすぐったかったけど、今ではそう呼んでくれるのがすごくうれしい。
(ありがとう、がんばって、ほんとの先生になるからね)
マイクを受け取りながら、私はあらためてそう思った。
「もう右手に海が見え始めるはずだよ。」
曽根先生の言葉に、バスの中の子供たちは一斉に右側の窓にむけて動きだした。
危ないから席に着くように言っても、席の上で必死に首だけ伸ばして海を見ようとする。海を見るのが初めてというわけでもないと思うのだけど、子供ってなんでも新鮮に見えるんだろうな。
「・・・どうしました?」
曽根先生が不思議そうな顔でこっちを見ていた。
「あ・・・はい?」
「いや、ニコニコしてるから」
「あ・・・あの、みんな素直でかわいいなっておもって」
「え、そう?ははは・・・」
曽根先生の笑い方がなんとなく馬鹿にしたようで、私は内心むっとして、黙って窓の外に目をやった。
(いいじゃない、かわいいんだから)
正直に言えば今日ここにやってくるまでは高学年の相手はちょっと不安だった。
この海水浴合宿は毎年夏休みにPTAの有志が企画する行事で、厳密に言うと学校の正式な催しではない。
でもそこは良くも悪くも慣例重視のお役所仕事。長く続くこの行事には学校側も協力するのが通例で、毎年男女一人ずつ二人の先生が休日を返上させられて引率するのが決まりになっていた。
ところが今年は女性の先生方が誰も都合が付かず、代わりに「なんちゃって先生」の私のところに話が舞い込んできたのだ。
「貧乏くじですね」とさんざん言われたが、まあ日給からみても私にとっては悪い話ではないし、なにより今は子供たちとふれあうのが楽しくて仕方なかった。
そんなわけで二つ返事で引き受けたのだけど、考えてみれば4年生以上の生徒たちなんて初めてで、その上もう一つの「貧乏くじ」を引いた曽根先生とはあまり話した事もないし、どちらかというと苦手だった。
(私でつとまるかしら?)
夏休みに入ってからずっと、そんな不安が頭から離れなかったのだ。
「わぁっ!」
窓の外に水平線が見え始めると子供たちが歓声を上げた。
「みどりせんせい!うみ、うみ!」
(やっぱりかわいい)
私は安心した。曽根先生とはやっぱりなんか合わない気がするけど、子供たちはもう味方のような心強い気がした。
ほとんど話した事がなかった4,5,6年生の子たちばかりなのにね・・・もちろん1年生とはだいぶ違うけど、やっぱり子供は子供、無邪気で、素直だ。
半年前までは自分でもこんなに子供が好きだとは気が付かなかったのに、不思議な気分だった。
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