Gルートその3
「相原様、どうぞお降り下さい。足元にはお気をつけて」
「あっ…あああありがとうございますすすす…えっとえと…こういう場合ってチップか何かいるんでしたっけ!
?」
「いえいえ、私は大鳥家に雇われている者でございますから、そのようなお心遣いは無用でございます。あなた
様のお優しいお気持ちだけで十分。ささ、静香お嬢様がお待ちでございますよ」
これは夢? そう…夢に決まってるよね……でなきゃ、あたしがこんな高級車に乗って、運転手さんにドアを
開けてもらって、手をそえて降ろしてもらえるなんて……夢よ、夢なんだわ、お願いだから誰か夢だと言ってぇ
ぇぇ〜〜〜!!
女子寮で静香さんと約束してから数日後、「どこに行けばいいの?」と聞いたら「迎えが行くから、家の前で待
っていて」と言われたので、とりあえず運動できる服を詰め込んだバッグを足元において、静香さんの家が大金
持ちである事を思い出しながらぼんやり待っていた。
大金持ち……その言葉から連想されるお迎えと言えば黒くて高級そうな車に黒い服を着た運転手。乗る時と降
りる時にはあたしの目の前には、赤い絨毯がこうやってグルグルグル〜〜〜って広がっていくんだよね、あはは
はは♪
なんて事を冗談で考えていたあたしだけど……その想像通りの物が実際に約束の時間ピッタシに目の前にやっ
てくると、もはや言葉の出しようが無かった………
「おまたせ。さ、乗って」
今までTVぐらいでしか見た事の無かった本物のリムジンがほとんど音をたてずにあたしの目の前に停車する
と、後部ドアの窓がするすると開いて、中から静香さんが顔を見せる。
「あ…あの……これはドッキリカメラ?」
「……?」
あたしの言葉にいつもの無表情のまま首を傾げる静香さん。いつもなら無口で感情を表すのが下手、という風
に考えていた表情も、こうやって見ると、まるでどこかのお嬢様のように思えてきてしまう。いや、実際にお嬢
様なんだけどね……
「相原たくや様でございますね? 本日、運転手を勤めさせていただきます佐々木でございます。いたらない所
はあるかとは思いますが、今日はよろしくお願いいたします」
「……はぁ…あ、あの、えっ、よ、よろしくお願いします!」
助手席(外国車だからそこが運転席…)から出てきた黒い背広姿で人のよさそうなオジさんが丁寧に頭を下げる
と、それがあたしに対してであることに気づくのに遅れ、慌ててあたしも頭を下げる
「相原様、狭い車内で恐縮ですが、どうぞお乗り下さい」
「たくや君、乗って」
「……………はい」
ドアを開けてもらい、静香さんと運転手さんに促されたあたしは、もはやこれが現実なのかどうかも分からな
くなりつつも、恐る恐る絨毯の敷かれた車内へと足を踏み入れた………
「それでは駐車場でお待ちしております。お帰りになられる時にお呼び下さいませ」
「佐々木さん、ありがとう」
車から降り立ったあたしたちの前で佐々木さんが丁寧に腰を折ると、いつもよりも感情のこもった声でお礼の
言葉を口にした。
「これが仕事でございますれば。しかし、最近は静香お嬢様もよくお笑いになられるようになりましたな」
「え…そう?」
………笑ってる? う〜ん…確かに車の中でもあたしよりそわそわしてた気がするなぁ……あれって待ちきれ
ない子供の心境って言うヤツだったのかな?
「そうですとも。これもご友人に恵まれたおかげです。相原様、お礼を申しますぞ」
「そ、そうですか? は…ははは……あたしはほとんど何もしてないんですけど……」
「そのような事はありません!」
それまでニコニコと笑顔を浮かべていた佐々木さんだけど、あたしの言葉を聞くや否やいきなり顔を上げ、拳
を握り締めて力説し始めた。
「お嬢様がご友人と外出なされるなど初めての事。不肖、この佐々木、静香様の幼き頃より運転手としてお仕え
してまいりましたが、かように喜んでおられるお嬢様の顔は旦那様と奥方様と共に祝われた9歳のお誕生日以来
……うっ…嬉しくて涙が……」
「あの…佐々木さん、もういい……」
「私には妻がおりますが、子宝には恵まれず、それ由、静香様には我が子に愛情を注ぐ気持ちでお仕えしてまい
りました。ですが、成長なされるに連れて、外の世界に興味をもたれるお嬢様のお望みをかなえて上げさせてい
ただく事もできず、日々心を痛めておりました…ところがです!」
「きゃっ!?」
固く握った拳に力を溜めるように体を徐々に折り曲げて苦悩していた佐々木さんだけど、突如体を跳ね上げて
あたしの手を握り締めてきた。咄嗟に手を引っ込めようとするけど力強く握られていて逃げられず、そうこうし
ている内に佐々木さんは顔同士が触れ合いそうになるまであたしに近づいてきて、さらに強く熱弁を振るい始め
た。
「佐々木さん、それ以上は……」
「少し前からお嬢様の様子が徐々に変わり始めたのです。最初は恋かと思いました。ですがお嬢様は寮から出ら
れた様子も無く、不審に思った私は色々と調べさせていただきました」
「そ、そうですか……でも、あんまり調べすぎるとストーカーに間違われ――」
「すると、あなたが訪れた時期とお嬢様が明るくなられた時期とが重なるのです。おお、感謝します、あなたの
おかげでお嬢様は――」
い…いいから人の話を聞いてよ……唾も飛んでるし…あうう……汚い……
「佐々木さん…あの…もういいから……それ以上は……」
「おっ? あ、これは失礼いたしました。それでは私はこれで失礼いたします」
あたしの顔が唾のしずくでベトベトになるぐらい喋ってから、やっと静香さんの言葉で正気の戻った佐々木さ
んは、まるで何事も無かったかのように一礼すると、車に乗ってどこかに走り去ってしまった。
「ははは……い、いい人だよね、佐々木さんって。とっても静香さんのことが大切なんだよね、きっと」
顔の表面を滴りそうなほど唾の飛沫で濡れた顔をハンカチで拭いたあたしが静香さんに顔を向けると、静香さ
んはいつもの無口にさらに輪をかけて口を引き結んで押し黙り、真っ赤になった顔を俯かせてモジモジしていた。
あそこまで大声で自分の事を喋られたら、誰だって恥ずかしくなっちゃうわよね、やっぱり。あたしにすれば、
静香さんの子供の時の話しなんかはちょっと気になったかな?
とはいえ、このまま二人でここに立っていても仕方が無いし、とりあえずと言う気持ちではるばるやってきた
建物を振り仰いだ。
「………ほぇぇ……結構高い……」
入り口のすぐ前に立っている事もあるけど、目の前の建物は三階か四階まであるみたいで、首を90度後ろに
曲げなければ一番上まで見上げる事ができなかった。
車で一時間でやってきたこの場所は周りに緑の木々が生い茂り、舗装された道は少し傾いていてここが山の中
である事を語っていた。けれど、自然の景観を壊さないような建物のデザインや手入れの行き届いた緑、それに
すぐ近くから聞こえてくる小鳥のさえずる声は、この場にいるだけで体が癒えてくるような気分にさせてくれる。
気持ちのいいところよね……ああぁ…空気が美味しい……
「中、入るね」
「うん………へ? ちょ、ちょっと待ってよ!」
都会とは味と言うか風味と言うか、とにかく一味違う空気を胸いっぱいに吸いこんでいたあたしは、静香さん
が呟いた一言で正気に返り、慌ててその後を追い掛けた。
「そういえば、ここって一体何の建物なの? 車の中でも聞けなかったし……」
「運動できるところ」
それは分かってるんだけどね……ま、いいか。静香さんって説明するの苦手みたいだし、ここまで来たら後は
ついていけば、そのうち分かるわよね。
車を降りてほんの十歩。建物の正面に位置する自動ドアに向かって、あたしと静香さんは二人並んで歩いてい
く。その姿は、誰かが見たら双子の姉妹だと思うんじゃないかな?なんて考えながら――
「「「「「いらっしゃいませ。静香お嬢様」」」」」
綺麗に磨き上げられたガラスが左右に開いていく間に、あたしは目を丸くして動きを止めていた。
「たくや君、お先にどうぞ」
「どうぞって……こ…ここを進むの?」
何事も無かったような静香さんに視線を一瞬向けて、再び前を見る。するとそこには、二・三十人の背広を着
た人たちが道を作るかのように左右にズラッと整列し、真ん中に向けて頭を下げているのである。
一矢乱れぬその様子に目が点になり、今まで見た事が無いほど異様なその光景に足を踏み出せないでいると、
道の向こうから結構立派な体格のオジさんが歩いてきた。身長があるおかげで背広をビシッと着こなしたオジさ
んは、背筋を伸ばして赤い絨毯の上を歩いてきてあたしの前に立つと、鼻下や顎にまでびっしりヒゲを生やした
強面の顔にさわやかな笑顔を浮かべて、うやうやしく腰を折り曲げた。
「ようこそおいで下さいました、静香お嬢様。本来ならば私が自らお出迎えすべきだったのですが、重役会議に
出席しなければならず、このようにお顔をお見せするのが遅れてしまいました事、お許し下さいませ」
「へっ? へっ? へっ?」
結構しぶめの声でそう言われても、一体何が起こっているのか理解できないあたしは返事に困ってしまってい
た。あたしのその様子に気がついたオジさんはぐいぐいと顔を近づけ、愛想笑いの浮かぶあたしの顔をジィ〜〜
っと覗きこんでくる。
「いかがなされましたか? もしやご機嫌がすぐれぬのですか!?」
「え…えぇ…まぁ……」
「それは一大事!! おい、鈴木、今すぐ救急車の手配だ! 付属の病院に五分で車をよこすように言え!」
「はっ、了解しました!」
「ち、違います、そこまでひどくないです! ただ、こんなに大勢の人に出迎えられたから――」
「ああっ!! 私とした事が何たる失念!! お嬢様が男性が苦手なのを失念しておりました!! 加藤、後は
私がお嬢様をお迎えする。皆の者はご苦労だった、通常業務に戻ってくれ!」
「分かりました。撤収!」
なんなのよ……なんだか今日は、あたしが住んでる世界とは違うところに来ちゃってる気がする……
目の前のオジさんが熊のように大声で命令すると、並んでいた人たちは一分とかからずに姿を消してしまい、
今はその場にはロビーとしての空間が広がっている。この広い空間にいるのは、あたしと目の前のオジさん、そ
れに受付にさっきまで列に並んでいた女の人、そして――
「これで男はこの熊田しかおりません。ささ、どうぞ応接室まで。すぐにお茶の準備をさせますので」
「あ…あの……ひょっとして、あたしを静香さんと勘違いしてませんか?」
「はっ? はっはっは、何をおっしゃいますか。この熊田がお嬢様を見間違えるなど、あるはずもございません。
私はお嬢様が三つの時から知っておるのですぞ。その私が間違えるわけが無いではありませんか! はっはっは
!!」
ううう…思いっきり間違えてますって……にしても声がうるさいなぁ……
悪い人じゃないんだろうけど、豪快な笑い声はお腹のそこに響くほどの大音量。それを間近で聞いているあた
しは耳を塞いでしまいたくなる。
「熊田さん、お久しぶり」
「そうですな。お嬢様のお出になるコンサートには必ず足を運んでおりましたが、こうやってお話するのは、か
れこれ一年ぶりでしょうか。いや、お懐かしい」
「はい、大きなお花、ありがとうございました」
「はっはっは、お嬢様のためならば、そのぐらいのプレゼントはいたしませんとな」
「………あの〜〜…熊田さんでしたっけ? いいかげん気づいて欲しいんですけど……」
「んっ? ああ、そうでしたな。今すぐ麓のケーキ店にお茶菓子をもって来させましょう。バイク便に頼めば三
分で――」
「そうじゃなくて! あたしは静香さんじゃなくて、静香さんは横!」
「横? はて……」
とうとう大声で叫んだあたしの言葉に首を横に向けた熊田さん。そしてそこに立っていたのは本物のお嬢様、
静香さんだった。
「………おや?」
視線があたしに向く。
「………おや?」
そして再び視線は静香さんへ。
「……おや?……おや?……おや?……おや?………おおおおおっ、お嬢様がお二人ぃ!?」
「やっと気づいたんですか! 最初っから二人で入ってきたでしょ!!」
「私、後ろに隠れてた」
し…静香さん……そういえば、途中から姿が見えなかったわね……あたしに恨みでもあるのか…って言うか、
この人を驚かせる為にやってるでしょ!
「こ…これは一体どう言う事ですか? 私もお嬢様に双子の姉妹がおられるとは聞いた事が無いのですが……」
大声で怒鳴りたい衝動をグッと我慢したあたしと、心の中ではしてやったりと思っているであろう静香さんを
交互に見比べながら、熊田さんは目を見開いてあたしたちの顔を交互に見比べる。さっきは子供の頃から知って
いるとか言っていたけど、どちらがどちらか分からなくなっているようで、その顔は焦りと困惑に彩られていた。
「確かこちらが静香お嬢様だと言われましたな? では、失礼ですが、あなたは一体……ここまでそっくりと言
う事は、お嬢様の遠縁の方で?」
「いえ、あたしは静香さんの――」
「お母様」
…………………
…………………
…………………
…………………
「なんと!! 静香様にもう一人母親が!? いや、それならば顔立ちが似すぎているのも納得がいく…まさか
…まさか社長に愛人がおられたとは!!」
「あんたも簡単に信じるな!! さっきは子供の頃から知ってるって言ってたじゃないの! ほら、静香さんも
冗談だって言って」
「冗談よ」
ま…まったく性質が悪い……あたしはうら若き乙女(?)なんですからね……
久しぶりに聞いただけに破壊力も抜群だった静香さんの冗談に心臓がバクバクと大きな鼓動で鳴り響く。それ
を大きな深呼吸を繰り返して無理矢理抑えつけると、あたしは再び自己紹介しようと口を開いた。
「ふぅ…あたしはですね、静香さんの――」
「恋人です」
……………
…………………
………………………
……………………………
…………………………………
………………………………………
さっきよりも長い沈黙が周囲の空間に広がり続ける。
「友人です」と口にしようとしていたあたしの口は、半開きのままで固定してしまい、一発目の余韻が残ってい
る熊田さんの顔も驚きの表情が貼りついたまま、微動だにしなかった。
「え……えええええええええええええええ!!?」
「なっ……なななななななななななんとぉ!!?」
復活したのはほぼ同時。幸いロビーには受付譲さんしかいなかったからよかったけど、あたしの高い声と熊田
さんの大きな声とが同時に周囲に響き渡る。
「お、お、お、お嬢様の恋人ですとぉぉ!? ま、まぁ、お嬢様が女子寮に入られたとは聞いていたので、もし
やそのような事がと心配した時期もありましたが……いえ、この熊田はダメだとは言いませんぞ。同性愛でも愛
は愛! お二人の気持ちに偽りが無いのでしたらば、周囲の反対がどうであれ、私は心の底より祝福させていた
だきますぞ!!」
「ち、違います違います! あたしたちはそう言うんじゃないんです! 静香さんも冗談ばっかり言ってないで、
ほんとの事を言ってよぉぉ〜〜!!」
「ほんとの事………(ポッ)」
事実を述べてと言ったのに何を想像したのか、顔を赤らめた静香さんはあたしの左側に自分の体を寄せると、
腕を絡めてきた。
「じゃあ……初めての人」
「は、はじめてぇ!!」
「お…お二人の仲はそこまで……これは早速医療部に連絡して女同士でも子供ができるような技術を確立させね
ば!!」
「ちょっと待ってそこぉ! これは冗談、冗談よね、静香さん?」
「………痛かったの」
「だからそうじゃないでしょ!! そりゃ確かにあたしは静香さんの初めての人だけど――」
「おおおっ! やはりそうなのですな。これは早速社長に連絡をせねば……いや、それよりも結婚式場の予約と
披露宴の準備を。それと各界のお歴々にも招待状を配布せねばいけませんな」
「やめてぇぇ〜〜!! お願いだから、連絡なんかしないで、予約もやめてぇぇ〜〜!!」
「責任…とってね」
「これぞまさに逆玉ですな。はっはっは!」
「いやあああぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「はぁ…はぁ…はぁ……つ、疲れた……」
「いやぁ、お嬢様のご友人の方でしたか。しかしながら、また一弾と腕を上げられたようで、すっかり騙されて
しまいました、はっはっはっ!」
「………(小さくVサイン)」
さすが、静香さんの小さい時からの付き合いのある人というべきなんだろうか……息ぴったりで交互に変な行
動するもんだから、なんとか静香さんを説得して冗談だと言わせるのに倍どころか三・四倍の労力を必要とした
気がする。
「はあぁぁぁ……運動しにきたのに…もう十分な気がするな……」
「おお、そう言う用件でしたのか。それでしたら、ここへ来られたのは最良の選択ですぞ」
「へ?……な、なんで……」
あたしが切れ切れに呟いた言葉を聞きつけた熊出さんの声に、あたしはがっくりうなだれた頭をもたげ、ヒゲ
に覆われた自身満々の顔を下から見上げる。
「だってここ、スポーツジム」
「スポーツ…ジム?」
「そうです。この施設は最新の設備を取り揃え、テニスコートにジョギング、水泳など様々な運動を行う事がで
きるスポーツジム、大鳥スポーツセンター、略してO・S・C!! 申し送れました。私、支配人の熊田と申し
ます。これは名刺です」
「あ…どうも……」
「ここに一ヶ月も通えばダイエットは間違い無し。余分な脂肪を落とせ、適度な運動で健康な肉体を手に入れる
事ができます。当然あなたも静香お嬢様からお聞きになってこられたのでしょう? ここを選ぶとはお目が高い
ですよ、はっはっは!」
「あ、言ってなかった」
熊田さんの説明に続いて静香さんの抑揚の無いトドメの一言を聞いたあたしは、なぜかドッと疲れが溢れ出て
きて、たまらず溜息を吐き出した……
「お願いだから……そう言う事は最初にちゃんと説明してよぉ……」
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