第七話
私は大人になった自分の裸の背中をあらためて眺めた。
そして、転校してしまった彼のことを思い出しながら、ゆっくりと、小さなタオルだけで身体を隠して鏡に向かった。
(私は、彼に何を求めていたのだろう?)
小学校も高学年だったはずだから、裸になる事に恥ずかしいという感覚は間違いなくあった。
ましてや男の子の前で素っ裸になるなんて、そうとうな勇気と覚悟が必要だったはずだ。
私はあのときの気持ちを思い出すように、そっとタオルを床に落とし、身体を隠す事が出来ないように両手を後ろで組んだ。
(恥ずかし・・・・・・)
真正面の鏡に一糸まとわぬ自分の姿が映る。自分の全裸をまじまじと見るなんて久しぶりの事だった。
ひかえめだがバランスよくふくらんだ胸、小振りな乳首、くびれたウエスト、そして下腹を覆うヘア・・・あのときとは違う、いろいろな意味で「女になった」自分の身体を私は複雑な思いで眺めた。
「純粋だったのね、多分」
私はそうつぶやくと、裸の胸を滴る水滴の行方を追うようにうつむいた・・・。
ガラガラガラガラ!
突然、引き戸が乱暴に開かれる音が私の感傷を遮った。
「うーぃ、せめえなここは!」
聞き覚えのある声がドタドタという足音とともに男湯のほうで響いた。
(教頭先生!)
私は反射的にその場にしゃがみ込み、落ちていたタオルを拾って身体を隠そうしたが、小さなそれはさほど役に立ちそうもない。
「よいしょ!」
頭上でゴトッっと音がする。
鏡越しに見ると、教頭先生はわざわざ脱衣かごを棚の上に置いてその中に何かを突っ込んでいるようだ。
(どうしよう・・・)
大きな鏡の一番下に全裸のままうずくまる自分がいて、一番上の方には教頭先生の手がチラチラと動いて見える。
「あれ・・・そう言えば電気ついてたけどぉ・・・誰かいるぅ?」
私は返事をするかどうか悩んでしまった。
「・・・いない」
ドタドタドタと足音が響き、浴室の扉の向こうでもう一度「誰かいる?」と声が響いた。
「なぁんだ、高木さんでもいればいいのになぁ、えへへへへ」
その言葉に私は身を固くした。
(いたらどうするっていうんですか!?)
私は上の棚から浴衣を取ろうとして少しだけ腰を上げたが、その途端教頭先生の大きな声が響いた。
「しっかし、いい加減な作りだねえこれ」
鏡に棚の向こうの髪の毛が動くのが映り、私はあわててもう一度しゃがまなければならなかった。
私がしたのと同じように、教頭先生も棚の上に顔を出してこちらを見るかもしれない。
(覚悟を決めて、いないふりを決め込むしかない)
とりあえず教頭先生が浴室に行くのを待って、そしたら急いで着替えよう。
素っ裸でコソコソとしゃがんでいる自分の姿を鏡で見ながら、私はそう考えて息を潜めた。
カチャカチャ・・・
ベルトをはずしているのだろうか、金属音が聞こえる。私は出来るだけ状況を想像しないようにしてただただ待った。
やがて、鏡の中で教頭先生の手がズボンをかごに放り込んだ。
「おお、そうそうこれをな、大事だからな」
そう言われて何となく棚の上の様子をうかがっていた私の視線の先に、いきなり教頭先生の頭が現れた。
(・・・!)
見られた!と思った次の瞬間、その頭がかごの上に大事そうに置かれるのが見えた。
(・・・かつら!?)
教頭先生の髪が怪しいというのはいろいろなところで噂になっていたけど、やっぱり本当だったようだ。
私は胸をなで下ろしたが、これでますますここにいる事を知られるわけにはいかなくなってしまった。
「ったく面倒くさいなこれは」
イラついた声とともになにやらバネのような部品がいくつもかごに投げ込まれていく。
「あ・・・」
(あ・・・)
その一つがかごから飛び出て棚の上を跳ねるようにしてこちらに飛んでくると、私の頭上を通過して目の前の床に落ちた。
「ああ、いかんいかん」
(え・・・?どうしよ???)
私は目の前に転がった薄い部品をどうしていいかわからずに眺めた。
「ああ〜そっち側、誰もいませんよねぇっと」
言いながら足音が入り口側に移動してくる!
私はあわてて立ち上がり、棚の浴衣を手にとって大急ぎで袖を通した。
「失礼しますよぉ〜」
そういいながら教頭先生が入ってくるのと、私が帯を浴衣に巻くのはほぼ同時だった。
「あ・・・」
「え・・・?」
空気が止まった。
「あっ?!えっ?!ごめんごめん!いないと思って・・・いや、何度も声かけたんだけどな、ごめんなさい!」
帯を結びながら振り向いた私は、一気に酔いが冷めたように必死に弁解する教頭先生がなんだか気の毒に思えてきた。
「あ、今上がったところで。ちょうどタイミングが悪かったんですね」
「そうなの?そっかそっか・・・いや、誰もいないと思ったんだけど、実はちょっとこっちに物をとばしちゃってさ」
私が怒っていないので少し落ち着いたのか、教頭先生はようやく用件を切り出して足下のバネ部品を指さした。
「これですか?」
できるだけ平静を装ってそれを拾い上げ、教頭先生に手渡した。
「そうそう、これ・・・あ、いっけね。見ないでよ高木先生」
教頭先生は笑いながら薄い頭を手で隠した。
ほんとはこっちが見ないでと言いたいのに・・・薄い浴衣一枚を濡れた肌に羽織っただけの私は、それを悟られないか気が気ではない。
「え、あ・・・ごめんなさぁい」
何で私が謝るのだろうかと思ったが、とにかくこの場を立ち去るのが先決だ。
「じゃあ、私はお先に失礼します、おやすみなさい」
「はいおやすみぃ」
早口で挨拶をすませると、大急ぎで荷物をひっつかんで廊下に出た。
次へ続く